アメリカ大学院留学日記 -3ページ目

ICHIROはやっぱり凄かった

今日イチローを応援しに、テキサス/アーリントンまで行ってきました(車で片道3時間)。今さっきウチに戻ってきたところです。(アメリカCT午前1時です)

当初は観にいく予定ではなかったのですが、この状況だとやっぱり日本人として応援しとかんとあかんやろう・・・という事で、学校のレポートやボストンの準備をほったらかして行って来ました。

球場はやっぱり日本人多かったですね。日本のマスコミもかなりいて、僕もその中のひとつに取材されました。

急遽行く事にしたので、そんなに良い席ではなかったのですが、せっかくだからという事で内野席のライト寄りで観た為(距離20mくらい)、イチローの様子が良く分かりました。投手の投げる球、一球ごとにストレッチをして守備機会に備えるその姿はオーラが出てました。めちゃくちゃ落ち着いてます。ヒットも良いとこで1本でて良かった。あと記録まで7本ですか。

ただ長谷川投手が打たれたのが残念でした。(2人とも観れたのはラッキーでしたが)

あと、レンジャースのファンばかりの観客席でひとりイチローを応援していたので、かなり周りの人に白い目でみられました。イチローの名前を書いた応援メッセージも持っていったのでかなり浮いてたかも。

という事で今日は疲れたので寝ます。

あ~あそれにしても、昼間にダラスのコリアタウンで食べた焼肉はうまかった。


インドの少年

昨日に引き続き今日も旅行ネタをもう一発したいと思います。
僕が何で旅行にはまったのか…という話。

僕が初めて一人で海外旅行へ出かけたのは、今から7年前、僕が19の時だった。

一浪の末希望大学のひとつであった東京の大学へ進学し、憧れの大学生活がスタートしたはずだったのだが、大学から始めた体育会アメリカンフットボールは金銭面の問題で辞めざるを得ず、かといって途中からちゃらちゃらとサークルに加わるつもりはなかった。塾講師のアルバイトは始めたものの、憧れの女性に振られたりして、悶々と大学生活1年目が過ぎ去ろうとした春、僕は何か思い切った事をしてみたいと思い、当時の頭で思いついたのは”海外一人旅”だった。今から思えば、それ程大それた事ではないのだが、当時の僕は”深夜特急の大沢たかお”に成りきって意気揚揚だった。(もちろん沢木耕太郎も読んでましたが、僕の中ではテレビの印象の方が強烈でした。)

インド観光で取れるビザが当時は40日間が限度だったので(今も??)、何も考えずデリーIN40日後バナラシOUTというエア・インディアのチケットを取った。

インドは想像していた以上の出来事の連続で、旅の初めから詐欺にあったり、脅迫されたり、日本人男性にレイプされそうになった日本人の女の子に出会ったり、ガンジス川の魚で作ったフィッシュカレーを食べあたり3日間ベッドから起き上がれなかったり、とそれはスリリングな旅だった。今もう一度行く??って聞かれたら、ちょっと考えさせて!!と言うと思う。

そんな旅も中盤が過ぎようとしていた頃、カジュラホーという小さな町でふとした事から僕はあるインド人の少年と出会った。彼はインドでは当たり前に見られる、ホテルの客引きの子供の一人だった。ただひとつ他の子と違ったのは、彼は英語だけでなく日本語も上手に話した。

そんな理由もあり、僕と彼はどういう訳かずっと行動を共にするようになった。彼は16歳。当時の僕の年齢とそんなに離れていなかったのも理由のひとつだろう。

一緒に行動するようになって、だんだんと気付くことがひとつあった。

彼は日本語以外にも他の言語を話せるという事。

彼は僕と一緒にいる時も、客引きを続けていたのだが、フランス人の観光客にはフランス語、ドイツ人の観光客にはドイツ語と言葉を使い分けていたのだった。

すごい興味を覚えた僕はある時彼に聞いた。

僕”すごいねぇ。何ヶ国語話せるの??”

彼”う~ん。英語、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語・・・あとヒンドゥ-語だから6ヶ国かな??”

僕”凄い!!どうやって勉強したの??”

彼”特に勉強してないよ・・・だって生きる為だから。



後から分かったのだが、彼は家が貧しくて学校へも行ってなかったのだ。彼がホテルの客引きをして、ホテルからのキックバックで彼は彼の家族全員を養っていたのだ。

それから後日本へ戻ってから、僕は学校のある間はアルバイトしてお金を貯め、休みごとに海外へ行くという事に夢中になった。




勝手にランキング

昨日は重たい内容だったので、今日はちょっと軽めに・・・。

僕が幸せを感じる時の中のひとつに”旅行してる時”というのがある。
小学5年生の時、親に頼んで”子供だけのツアー”に入れてもらいシンガポールに行ったのを皮切りに、学生時代はバックパッカー、会社にいた時も無理矢理連休を作って旅行し、アメリカへ来てからは車でいろんなトコをまわってます。ちなみに、現在まで世界20カ国(日本は除く)、アメリカ23州37都市(1泊以上した都市)に旅行しました。

そこで今日は僕が行った所の中で、勝手にランキング付けをしたいと思います。

【ビーチが綺麗】
1.中国/海南島
2.べトナム/ニャチャン
3.インド/プーリー

【女の子が綺麗】
1.イタリア
2.フィリピン
3.インドネシア/バリ島
4.タイ
5.フランス

【食べ物がおいしいかった】
1.イタリア/ローマの地元民が行くレストランで食べたカルボナーラ
2.中国/北京のちょっと高級レストランで食べた北京ダック
3.中国/海南島の地元レストランで食べた海鮮料理
4.アメリカ/リノのホテルで食べたバフェ
5.ベルギーで食べたベルギーワッフル

【景色最高】
1.インド/ガンジス川で見た朝日
2.カンボジア/アンコールワットで見た夕日
3.香港の夜景
4.LA/サンタモニカビーチでみた夕日
5.グランドキャニオンでみた朝日

【泣きそうになった】
1.ニュ-ヨークでヤンキース戦を観た時、これぞアメリカ!!って思って感動した。
2.イタリアでサッカーパルマ-ミラン戦を観た時、俺はこれを観るために生まれてきたと思った。
3.フィリピンのタクシーの運転手に脅された時。

【このショー最高】
1.イギリス/ロンドンで観た”キャッツ”
2.アメリカ/ラスベガスで観た”O”
3.アメリカ/ニューヨークで観た”オペラ座の怪人”
4.フランス/パリで聴いたオペラ
5.アメリカ/ディズニーワールドで観た”美女と野獣”

【もう一度行ってみたい所】
1.オランダ/アムステルダム
2.タイ/バンコク
3.アメリカ/ニューヨーク

【住んでみたい所】
1.アメリカ/サンディエゴ
2.香港
3.シンガポール

【今一番行きたい所】
1.欧州CL観戦
2.ペルーマチュピチュ遺跡
3.北朝鮮(マジで)
4.イタリア・カプリ島青の洞窟
5.アラスカでオーロラを観る

以上参考になったでしょうか??
自分の知らない所へ行き、知らない文化に触れ、知らない人と話すのはとても面白い事です。

留学の憂鬱

完全主義者の留学生は成功しない、授業中そんなことを思いながらブルーになっていた。クラスの中の誰よりも多くの本を読んで書いたレポートがあまり良くない評価だったり、グループデスカッションで発言しても相手に自分の言いたいことが伝わらなかったり、またそれが怖くて発言できなかったり。留学生活はそんなことの繰り返しだ。何度この授業が全部日本語だったら・・・と思ったことか。

もしアメリカで生活する事だけが目的だったら・・・
もしアメリカ人の友達を作るのだけが目的だったら・・・
もし英語でニュースが理解出来るようになる為にここへ来たのなら・・・

俺はそれだけでは満足出来ない。
俺は親にお金を出してもらって来てるのに、それを忘れて全部自分の力だと勘違いしてる留学生やアメリカ人と付き合う為に留学している留学生とは違う。

会社を辞める時、全員が励ましのメールを送ってくれた同期の為に。
黙って餞別をくれた先輩の為に。
上司から部下の管理不足だと怒られていたにも関わらず笑顔で送り出してくれたトレーナーの為に。
新人で、しかも大阪にいたのにわざわざ東京本社で1時間も最後の面談の時間を割いて頂き、しかも最後には”だめだったら戻ってきてもいいぞ”とまで言ってくれた社長の為に。
こちらの語学学校にいた為に、お葬式にも行けなかったおじいちゃんの為に。
今もっともっと苦しんでいる弟の為に。
”自分で責任を取れるんだったら、お前のやりたいことをやれ。”と何も言わず送り出してくれた両親の為に。
来年から日本という異国で生活する決心をしてくれた彼女の為に。

怖くても、最初の一歩を踏み出さないといけない。

と、そんな事を思いながら授業からの帰り道をベトナムから来た留学生と共に歩いていると、突然クラスメートのロシア人の女の子に話しかけられた。彼女はいつも積極的に授業中発言していて、以前から”すごいなぁ、やっぱヨーロッパの人はちゃうなぁ~”と思っていた人だ。

"Why you guys didn't speak in the classroom?? you know, I also・・・I always feel scary・・・But just I try it!! So don't be afraid, Let's speak !!"

可愛い笑顔をふりまきながら、颯爽と帰って行った。
来週こそは発言してみようと思った。

お薦めblog&日記2

前回は個人のblog&日記を紹介しまいたが、今回は著名人・有名人で私がよくいく所を紹介したいと思います。
 

セントルイス・カージナルス田口選手・・・関西ノリの文章が面白いです。
http://www.taguchiso.com/

フィレオンティ-ナ中田選手・・・最近また日本のマスコミや日本人と揉めてるようですが・・・ http://nakata.net/jp/

作家馳星周・・・”飲食日記”は読んでるだけで、腹が減ります。
http://www.hase-seisyu.com/

そのまんま東・・・すごい勉強家です。そして”走り屋”です。
http://donzokohigashi.at.infoseek.co.jp/hidari.htm

木村剛・・・竹中大臣のブレーンとして有名です。
http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/

ライブドア堀江社長・・・今や”時の人”ですね。
http://blog.livedoor.jp/takapon_jp/

Daily Kos・・・Blogの本場アメリカからです。反ブッシュです。
http://www.dailykos.com/

Instapundit.com・・・もう一発アメリカからです。これぐらいのblog作れたら良いですね。http://www.instapundit.com/

あとこちらはメルマガなのですが・・・

田中宇の国際ニュース解説・・・目のつけどころがスゴイです。勉強になります。
http://tanakanews.com/mail.html

村上龍 JAPAN MAIL MEDIA・・・ここも勉強になります。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/

小泉メールマガジン・・・最近はきても読まないこともありますが。英語版もあります。http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/

Michael Moore.com・・・”華氏911”で有名な映画監督です。
http://www.michaelmoore.com/index_main.php


以上、時間があれば覗いてみて下さい。

俺ってやっぱり日本人

今日もまたプレゼン。授業が始まるギリギリまで準備していった割にはわりと話せた方だと思います。ま、僕が勤めていた会社はセクハラだらけだったので、例を出すのに苦労しなかったし(笑)それにしてもこんな場面で、前の会社にお世話になるとは・・・。

今日のクラスは昨日とうって変わって、留学生の多いクラスです。そこに目をつけた教授(カナダ人)が、各国の労働事情やセクハラ事情について留学生にプレゼンを求めたのが、そもそもの始まりだったのです。

最初はメキシコ、ペルー、べネゼエラの南米系の人たち、その後僕、台湾、中国、ベトナムとアジア系が続きました。いろんな国の事情が聞けて面白かったのですが、その時思ったのは”やっぱ日本に生まれて良かったなぁ”って事。今日本では年金の問題でもめてますが、それでもやはり日本の福祉制度とか労働事情は恵まれている方だと思います。べネゼエラなんか大統領(チャべス)がいきなり民間企業の従業員を首にしたり、警察官が車のドライバーにビールを勧めたりするらいいからなぁ・・・。ま、もちろんアメリカもその辺の法律はしっかり整備されてますが。(それでも昨日会社をクビになった僕のルームメイトっていったい!?)

外から見て初めて分かる日本のいいとこっていっぱいあります。特に日本は戦争後ゼロから作り上げたのだから、ものすごいスピードでの進歩です。僕のおじいちゃん・おばあちゃんの世代、親の世代に感謝するべきだと思うし、後の世代に期待してもいいんじゃないかな??僕って楽観主義者でしょうか??

プレゼンについて

昨日のblogでも書いた通り、今日授業で単独プレゼンしてきました。
結果は・・・というと、う~んまあまあかな。
自分の言いたい事はとりあえず伝えることが出来たから先セメスターよりは上達したと思うけど、まだまだ自分が理想としている所には程遠い感じです。今日はPower Pointとビデオを使ってんけど、Power Pointのスライドとスライドの間がつながらへんから、結果的に書いてある事を棒読みになってしまったのが反省点です。ビデオは結構評判良かったけど。

で、僕のすぐ後にプレゼンしたアジア系アメリカ人の女の子のやり方が、すごい参考になった。というのは、彼女は他の人に配布したPower Pointのハンドアウトとは別に、自分だけが読む専用にもうひとつ原稿を用意し、スライドに合わせて読んでいくやり方だった。邪道かもしれんけど、こうすれば”完全棒読み”は避けられる。ま、それでもアドリブには弱いけど。

僕が目指すのは、ハンドアウトだけを追って後は流れで話すというやり方だけど、今は順を踏んで段階的にやった方が良いと思う。

それにしても英語は”話す”のが一番難しいと思う。1年半こちらで生活した僕の意見だと、聞く<読む<書く<話す、の順で難しい気がする。まあ年齢にもよるのだろうけど。あと1歳でも若い時にこちらに来た方が、話す力が伸びるというのは、あながち嘘じゃないと思います。

さあ、明日はもう一発プレゼン。"Human Resource Management"というビジネス系の授業で”日本におけるSexual Harassmentの現状”というおもしろそうなテーマ。

今日もまたあまり寝れそうにないけど、気合で乗り切るぞ!!

素朴な疑問2

このAmeba Blogで”お金の儲かる方法”とか”年収○○円”とか株式投資とかギャンブルのBlogがやたら目につくのはなんでだろ~??私がアメリカにいる間に日本はそんなに変わってしまったのか??もちろんお金を稼ぐ事は大事な事だし、必要な事ではあるけど、なんかお金だけしか見えてない人が多すぎる気がする・・・ま、そういった人達は特に自己顕示欲が強い傾向があるので理屈はわかる気がするが。でも、この人たちがここの賞金目当てにやってるのだとしたらおかしな話だ。

素朴な疑問

IT系のベンチャーに勤める人のblogって食べもの屋の話が多いの、なんでだろう~(ちょっと古いです・・・)いいトコでご飯食べるのって一種のステータスなんだろうか??それとも食べる為に働いているのだろうか??

Japanese American

今アメリカCTで午前3時半です。

今日は朝から一日明日のプレゼンの準備をしているのですが、なかなかはかどりません(泣) 明日の授業は”Racial Diversity"というクラスで、毎授業ごとに3人ずつ個人プレゼンをしていくのですが、留学生は私と英語がネイティブなナイジェリア人のみ。今まで聞いたプレゼンはどれも凝ったものばかりで、それがより一層私にプレッシャーを与えています。ま、中にはPh.Dの生徒も混じっているので、当然と言えばそれまでなんですが。

ちなみに私の課題テーマは”Minority Group Movements and Values and Contemporary Intergroup Relations"というもの。なんのこっちゃ!?って感じですが、私は主に"Japanese American"を取り上げることにしました。

その昔、日本も貧しかった頃、アメリカンドリームを求めてたくさんの日本人がアメリカに移民してきた事を皆さんご存知ですか??当時の人は英語もほとんど分からない中、体ひとつでやってきて、決して良い土地とは言えないカリフォルニアで農業を始めたのです。差別や貧困と闘いながらも、”子供により良い教育を受けさせてやりたい!!”という思いで一生懸命働き、コミュニテイを作り(今のリトルトーキョー等)、地位を確立していったのです。その努力もまた第二次世界大戦のおかげで、いったんはゼロに戻ってしまうのですが・・・

現在のJapanese Americanは私の世代で3世(1世、2世という言葉はそのまま英語でも使われてます)になり、そのほとんどが日本語が話せず、日本へのIdentityもほとんど持ってないと言われています。それでも、こうやって今では日本からたくさん留学生がやってきても、アメリカ社会にすんなりと受け入れられるのは(もちろん今でも差別はありますが)、1世の人達の歴史があるからだという事を伝えていかなければいけないと思います。

この話に興味のある方はこちらへどうぞ。

Japanese American National Museum
http://www.janm.org/

という事で、明日アメリカ人達の前で一説ぶってきます(笑)
てか、準備いつ終わるんやろ~。